院長プロフィール

快おおぞら気功ラボ 院長の岡本明子です。
私は、東京都町田市に生まれ育ちました。

 

体力のない子供時代

子供の頃から体力・気力がなく、病弱というのとは違うのですが、丈夫でもなく、いつも健康感が乏しく、子供なのに、老後を心配する中年の大人のように健康に不安がありました。健康の不安からか、精神的にも自信がなく、いつも自分でいることに居心地の悪さを感じていたように記憶しています。

親も体が丈夫ではない方で、母が家族の健康のために、特に食べ物には気をつかっていましたが、両親の健康への不安感も、体力に自信がもてない心理に影響していたように思います。

 

体力も気力もないので、ちょっとやってみて大変だと感じるとすぐにあきらめる、投げ出すタイプでした。

おりしも、「巨人の星」や「アタックNo.1」に始まり、後には大映テレビのドラマなど、スポ根ものや熱血ものが全盛の時代ながら、根性論が苦手でスポーツとは無縁、部活などもせず、家に帰ってまったりと自由に過ごすのが好きでした。

体力がなかったので、何をするにも、自分が疲れず体力も温存する、かつ、やることはきちんとこなすためにどうするか、を考えるのが習慣になり、いいとこ取りをする合理的な思考は、すでにこの時期に養われていたように思います。

でも、どんなに工夫をしていても、なにかをして体力を消耗したあと、リカバる方法がないことは、わたしにとって最大の弱点でした。いいとこ取りで自分のやれる形を見出すのが得意の私でも、体力を回復する方法は見出せていなかったのです。

そして、健康をコントロールするすべを知りたい、身につけたい、という願望が、私の人生の大きなテーマになったのです。

 

はつらつとしない青春時代

高校受験を経て、慶応の女子高に入りましたが、世間の「イケイケ」なイメージを裏切る、ゆる~い女子高生でした。

高校・大学と、通学に家から1時間半くらいかかり、電車で通学するだけで体力を消耗することを知りました。

高3の夏に近所の乗馬クラブに行ったのがきっかけで、乗馬にはまります。

運動と無縁だった私が、初めて、自分から積極的にやりたいと思った唯一のスポーツでした。大学に行ってもサークルには入らず、朝クラブで乗ってから授業に行ったり、授業の後に乗馬クラブに直行して、といった、乗馬が中心の生活でした。

とは言え、体力が乏しい現実は変わらず、休む期間が長くなることもあり、思い切り出来ないことは変わりませんでした。

 

ちょっと答えを見つけた主婦時代

大学卒業後は一旦就職しましたが、結婚を機に退職しました。

通勤ラッシュの電車は高校の時から経験していましたが、仕事をするというのは本当に大変なことだと痛感しました。週末に遊びに行くような体力はなく、土日は休む曜日でした。

結婚して専業主婦になると、自由な時間がふんだんです。家事も自分のペースでやりやすいように出来、私にとっては理想のくらしでした。

その後、子供の頃から「住みたい」と思っていた北海道に主人と移住し、現在の新得町に定住しました。

家でのんびり暮らす生活でしたが、のんびりしているのに定期的に肩こりや頭痛があり、鍛える運動をしてみても、その運動自体が負荷になってさらに具合が悪くなってしまいます。頭痛が起こると起きることも出来ず、少し良くなっても体は重く、何をするにものろのろとはかどらず、そのことで劣等感を強めることの繰り返しでした。

そのうち、症状が繰り返し定期的に起こることからパターンがあることに気付き、これはなんとかならないか、と、テレビや本の情報を求め、一つの結論に達しました。

「整理体操をすればいい」

毎日くらすだけで私には体力がぎりぎり、寝る姿勢さえもこりの原因となり、そのため、何日かすると限界に達し症状が出ていたのでした。症状のほとんどは肩こりとそれからくる頭痛だったので、自覚のない日も、私の体にとっては、くらすことがスポーツをしたのと同じくらいの負荷になって、一種の筋肉痛の状態になり、限界までたまった時に頭痛になっていたのです。

そこで、毎日寝る前にストレッチ系の動作を行いました。すると、肩こりや頭痛の頻度が低くなったのです。

実家に行った際に私の動作を見た母が「ゴロゴロ寝てるだけに見えるけど、そんなんで効果あるの?」というくらい、「エクササイズ」とは程遠いものでしたが、私にとっては、体調を良好に保つ大切な「エクササイズ」でした。

この発見をしてから、体調がとてもよくなり、出来る動作も増えて、これをやっていれば疲れをリセット出来るので、長年の不調の答えを得たと喜びました。

北海道に来てからも、帯広の乗馬クラブに行っていましたが、整理体操エクササイズでリセットすれば続けられるので、人生で初めて、試合のために朝練をするなど、何かに「うちこむ」楽しさ、充実感を満喫していました。

しかし、この充実感が大きな落とし穴でした。

 

発病 ~誤診、視野欠損、視力を失う恐怖~

30歳を過ぎた頃、ある日急に左目の視野が、水を通して物を見ているようになりました。

外から家に入ってきて寒風で涙が出たのかと思いましたが、なんどこすっても変わりません。一時的なことかと様子を見ましたが、いつまでたってももとに戻らないので、帯広の病院の眼科に行きました。そこで、レーザー光凝固術を受けましたが、治らず、慶応病院に行ってみることにしました。

慶応病院の眼科で下された診断は帯広の病院とは違う眼底の病気でした。

現在は、眼底の病気が、病名のついていないものも含めて急激に増えていますが、当時は、慶応病院でも年間6人ぐらいいるかいないか、という珍しい病気でした。

私の場合は、乗馬の活動に夢中になるあまり、知らないうちに無理がかかっていたのでしょう。不調をやり過ごす方法を見つけたために疲労に気付かなくなっていたことが仇になったという、なんとも皮肉な結果になってしまいました。

主治医の先生は、「レーザー光凝固術ではダメージが大きすぎる、ダメージの少ない方法があるので、それを受けられる病院を紹介します」と言って、杏林大学病院に回してくださいました。

杏林大学病院では、温熱療法と言って、レーザー光凝固術よりも温度の低いレーザーを使うことで眼底へのダメージを緩和する方法でしたが、一旦は良くなるかに見えても、また現象が戻ってしまい、効果がありませんでした。

病院をはしごする生活はとても大変でした。

病院ごとに検査、特に私は血管の病気だったため、血管造影の薬で気分が悪くなったり、検査から診察までの待ち時間、帯広の病院の誤診で受けたレーザーに始まり、杏林大学病院の温熱療法であっても、視野欠損のリスクはゼロではなく、病気によって見えなくなっていく恐怖と、病院の方法で視野がなくなっていく不安と、どこにも道がない状態でした。

 

気功との出会い

そんな中、

「病院以外でなにか方法はないかな」

と思い始め、

「気功なんかどうなんだろう」

と漠然と思いつき、探しに行った図書館で気功の本を見つけました。

本を読んで、古来からある病気のための気功であることを知り、「これはいい」と思いましたが、北海道にはその気功院がありませんでした。それで、東京の気功院に行き、施術を受けてみることにしました。

この時、遠隔気功があることを知りました。

遠隔気功がどういうものかは、説明されてもわかりませんでしたが、北海道から東京に通院することは不可能ですから、通わなくても受けられることが、とにかく「便利」だという一点で、遠隔気功で施術を受け始めました。

受けていると目の状態がいいだけでなく、体調全体がいい感じがして、

「これはすごい!自分で目の施術が出来るように身につけたい!」

と思いました。東京の研修会に通うのはお金もかかり大変でしたが、方法がある、というだけでそれは私にとって活路であり、迷う余地はありませんでした。

 

いろいろなことが出来ることが面白く、目だけでなく今までかかえていた自分の不調に対して何にでも気功を試し、どんな現象にも気功を使って改善しているうちに、あまり不調を感じなくなっていました。と同時に、いつの間にか「自分は体力がなくいつも不調」という自信のない意識自体がなくなっていました。

 

気功師という使命

初めは自分の目の病気のためでしたが、家族や飼い猫に施術をしているうち、

「私と同じように方法がなくて悩んでいる人にもこの気功を」

と思うようになり、気功師資格を取得し、この気功としては北海道で初めてとなる気功院を開業しました。

心がけたのは「快適」であること、でした。

病院をめぐり、時間と体力を消耗し、リスクのある方法で不安をかかえた私自身の経験から、

「体力を落としたから病気になったのに、それを解決する行為がもっと体力を落とすのはとても矛盾している」

「もっと楽に出来ないか」

と感じたからです。

私自身が快適でないと感じた事を、ひとつずつ、快適になるように工夫しながら取り組んでいくと、あまり知られていない気功にも関わらず、関心をもってくださる方も多く、改善すると驚きながらも喜んで頂きました。

お客様と喜びを共有できる日々を送る中で、

「気功師という役目にたどり着くためにこの目の病気があった」のかもしれないと、病気にかかわる快適でない経験も穏やかに受け止める心境になっていました。

 

独自メソッドの誕生

開業してはじめのうちは軽い不調の方でしたが、年数がたつとだんだん重い状態の方のご依頼が多くなりました。

余命宣告された方は、余命が年単位で延び、最後まで自宅で過ごせる、旅行にも行ける、など満足だと言って頂きながらも亡くなる現実に、どんなことも出来る、いろいろな現象に対応可能な気功なので、もっと結果が出せるはず、もっと先を目指せるはず、なのでは?ともどかしく思うようになりました。

自分の技術が足りないからかと思い、研修会や勉強会のために東京に通い、技術の向上をはかりました。技術は向上し出せる結果も増えますが、私が感じるもどかしさを解消することにはつながらず、そんな中、父が余命宣告を受ける事態となりました。

私は遠隔気功で毎日施術しましたが、父は亡くなりました。食べ物にも気をつかい、家庭菜園で作った無農薬の野菜を食べ、健康にいいことを心がけていた父だっただけに、父の死は、私の中の、我が家の健康の価値観を一気にくつがえしました。

このことがあって、私は、体と病気のメカニズムにかかわるある法則を見出しました。

すると、何でもできるはずのこの気功にも弱点があることに気付きました。それこそが、ずっと感じていた「壁」の原因であることにも思い至りました。

でも、それを補完する方法があれば、「壁」の先に行けるのではないか、と思い、探し続け、ついにその方法にたどり着きました。

気功と、その弱点を補う方法を併せることで、各段に結果が向上しました。

奇しくもそれは、私の人生のテーマとなった、健康をコントロールする方法そのものであり、長年求めていた答えでもありました。

もう少し早くわかっていれば。父に、わずかに間に合わなかったことは残念でなりません。

 

その後、自分自身で実験を繰り返すうちに、私自身が健康になり、潜在的に体力がないという感じがなくなり、むしろ健康感が得られ、不調になってもリカバれる安心感、自信を得ていました。これが、独自メソッドとなって、古来からの気功に私のメソッドが合わさって、私が長年目指していた気功が完成しました。

 

ところが…

これで、どんな問題にも対応できる、と喜んでいたら、新たな課題が出現しました。

気功の弱点を補う方法が使えない条件の方がいたのです。

さらには、飼い猫のクマが腎臓の機能を落とし、しかも、方法が使えないときた。

むむむ…。どうしたものか…。

 

さらに考え、答えを求め、ある日ひらめきました。

「おお!これだ。」

早速、クマに施してみると、痩せて毛並みがボソボソになり頻繁に吐いていたのが、日を追うごとに改善し、半年以上たってから動物病院に行った時には、ほとんど脱水もなく、体重は4.9kgに増えていました。

獣医さんからは「ふつうは痩せる一方なのに、(体重が)増えるなんて、大したもんだ」と言われました。

 

快適な気功完成

こうして、補う方法を使わずに気功の弱点をクリアし、全て気功だけで出来るようにする、どんな条件でも施術可能で結果の上がる気功にすることに成功しました。

ついでに、これまで対面でないと出来なかった項目も、全て遠隔で出来るようにすることで、技術も施術方法も、どんな方にも対応可能な気功に進化させることに成功しました。

私の気功術の進化、レベルアップはこれからも続きます。

 

ずべての方を救えるなどと傲慢なことは言えません。私自身も不調にならないわけではありませんが、リカバる方法を知っていることが何よりの安心感であり自信となります。

実際、子供の頃、若い頃よりも、年齢の高い今の方が断然健康です。

人生をかけて探し続けた健康の「答え」を見つけることが出来たからです。

健康に不安がない、それだけで、それはすごいことなのだと、子供の頃から体力の心配をしながら生きてきた私にとって、この「答え」は何物にも代えがたい財産です。

 

私が人生をかけて探したどり着いた「答え」を、同じ境遇にある他の方にも役立てたい、それが私の今生の役目、使命なのだと考えます。

私が子供の頃・若い時にこれを知っていたら、体力のことを気にせずにもっと楽しく過ごせた時間がたくさんあったはずですが、時間は取り戻せず、残念に思います。

 

体の問題から「今」を楽しむことをあきらめている方に、私のように不調で時間を無駄にすることなく、「今すぐ」快適に健康に人生を楽しんで頂きたい、そのお手伝いをするための「答え」と技術が当院にあります。

ぜひ一度、ご相談ください。ご一緒に問題を解消していきましょう。

 

 

注)すべての病気が解消することを保証するものではありません。

 

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